こまく妻の学び〜子どもとの距離編〜

子育て

こんにちは。こまく妻です。

3人目の子供が産まれてはや8ヶ月が経ちました。

目が合うだけで満面の笑みを見せてくれるさくちゃんは控えめに言っても天使。

前回の流産をきっかけに仕事を辞めた夫もとうとう9時ー18時の仕事に出かけるようになりましたが、控えめに言っても貧困世帯のわが家。

そして、もうひとり、もう一回だけでいいから、妊娠出産体験がしたいわたし。笑

ブログを頑張らないと次のこどもは難しいかもしれないと夫に脅され、重い腰を上げて、ちょいちょい日々思うことなんかを投稿していきたいと思います。

子どものことは子どものこと

以前園長先生のおかげで精神的に憔悴しきってしまった私ですが、あれから約1年が経ち、園長先生との関係が本当の意味でできてきて、やっと私も腹を割って話せるようになってきました。

園長先生は、私と長男まーくんのことを話すときに、「距離が近い」ってよく言うんです。

「お母さん(私)とまーくんはひとつになっちゃってるから少し離れた方がいい」とも言われたことがあって、でもそれがどうゆうことなのか、わかるようで、わからなかった。

それでもなんとなく、物理的距離をとってみたりしながら日々を過ごしていました。

そんなある時、園で園長先生とおともだちAちゃんのお母さんが話していることを聞いていて、突然その意味を理解するときがやってきたのです。

その時、園長先生とおともだちAちゃんのお母さんは、Aちゃんのことについて色々話をしていました。

その中で「Aちゃんて、大人な感じですよね」というような園長先生の言葉に対してAちゃんのお母さんは「ね〜、子ども子どもしてないですよね」と、答えたのです。

Aちゃんの性分についての事実を話しているだけではありますが、園長先生の言葉はAちゃんのことを褒めているようにも聞こえますよね。

でも、「ありがとうございます〜」とか「そんなことないですよ〜」みたいなやりとりになるのではなく、お母さんから見たAちゃんの印象を伝えている、と言うことが、私にとってはすごく衝撃でした。

わたしは、一年前、園長先生からまーくんのことを指摘されたとき、まーくんのことを言われているのに、自分の関わり方がいけなかった、私がまーくんをこんなふうにしてしまった、と、自分が責められていると感じていました。

確かに、子どもの育ちには母親や周囲の人や環境の影響が大きいです。

でも、それが母親の関わりが全てではないし、子ども本人の性格によるところも大きい。

それなのに私は、まーくんが今困っているのは私の関わりによるものだ、と完全に自分のこととして受け止めていました。

まーくんのことなのに、まーくんの問題なのに、私のこと、私の問題として捉えていたのです。

そしてひとり、精神的に参っていた。

子どもの評価は子どもの評価であって、親である私の評価ではないのです。

私は長男まーくんが生まれてから、子どもとしてみるのではく、一人の人間として、その存在を尊重して関わっていきたいと考えていました。

でも、フィリピンで出会った母親に愛されない子ども、その子どもたちのような思いは絶対させたくない、私が愛情いっぱいにまーくんを育てたい!と、まーくんのことを大事に思うあまり、自分とまーくんの区別がつかないくらいの近い距離感になっていた。

その結果、私はまーくんを私と重ねてみていて、まーくんをひとりの人間としてみることができていなかったことに気がついたのです。

この気づきは私にとって、とても大きなことでした。

まーくんはまーくんであり、まーくんが困っていることはまーくんの問題。

まーくんのすごいところはまーくんが誉められることであって、私が誉められることではない。

子どもと自分は別物だと、子どもを本当の意味で客観的にみることができるようになって、私はかなり楽に過ごせるようになりました。

おわりに

自分と子どもがくっついてしまっている、それほどの距離感にいると、私は全く気がついていませんでした。

その距離感が日常にどれほど影響していたのか、また振り返って考えてみたいと思っています。

長男と次男、末っ子長女の性格はまるで違くて、それはもちろん性格の差もあるんでしょうけど、私との距離感の違い=関わりの違いによるものも大きんでしょうね♪

ま、あまり気にせずに。明日も楽しくいきましょう!

こんしゅうもお疲れ様でした。

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