こんにちわ。こまく妻です。
今日は長男まーくんの参観日的なものがあったので一緒に登園してきました。
まーくんの通う保育園は自然保育、、野外保育ともいうのかな、毎日山や川などに遊びにいってそこにある自然のもので遊ぶということをしています。
ということで今日もお散歩に出かけたのですが、その時に子どもの社会を感じた出来事があったのでまずそちらを書いていこうと思います。
子ども達の社会
いつものように畑の横の道を通って目的地に向かっているとき、事件は起きました。
子ども達はお散歩の時走って先に行くことが多く、先の方で歩いてくる子ども達と先生を待ってくれています。
歩いていた子ども達や先生も走っていった子ども達に追いついたので、先生の号令が出るとまた走っていく子ども達。
同じ場所で止まっていた子どもが一斉に走り出すのでちょっと窮屈なスタートになるわけです。
我が家の長男まーくんも喜んで走り出しましたが、一緒に走り出した1年生の男の子とぶつかって、1年生の男の子が転んで泣き出してしまいました。
あまりに痛がるので先生もやってきて、どこが痛い?と聞き、服をめくり傷になっているところに絆創膏を貼ってくれました。
「まーくんが押したんだよ」
見ていたと思われる子どもが先生に報告します。
先生は「ぶつかって転んだんだよ」と言いますが、子ども達の間ではまーくんのせいで1年生が転んだという空気になっています。
まーくんは少しバツが悪そうな感じで動向を見ていました。
手当もすみ、またみんなで歩き出すと、年中さんの女の子がまーくんをさっき転んだ1年生のところに連れてきました。
そしてまーくんは「ごめんね」と言わされ、1年生の男の子は不機嫌だったので無視し、代わりに先生が「いいよだって」と言って、事態は収束したのです。(もしかしたら1年生の男の子は本当にいいよと言ったのかもしれませんが私には聞こえませんでした)
確かにまーくんと同じところから走り出して、わざとではなくてもまーくんとぶつかったから転んでしまったので、まーくんがごめんねというのもわかりますが、全面的にまーくんが悪いみたいな感じだったことがとても印象的でした。
発言することのできる強い者が言ったことが真実と捉えられること、子ども達の社会では仕方のないことかもしれませんが、この出来事は誰も悪い人なんていなかった。
でも、どうやらまーくんが1年生を転ばせたらしいんだから謝ってもらおう、ということで1年生のところへ連れて行き謝ってもらった。
本当、社会の縮図だなというか、こんな小さい人たちの中でもこんなふうに統治された社会が出来上がっていることに驚きました。
まーくんは特段気にしていないようで、その後すぐ走り出して楽しそうにしていました。
こうやって、ちょっと理不尽なことも含めていろんな経験をして、人との関わりを勉強しているんだなあと、まーくん頑張ってるなと思います。
というか、年少まーくん、1年生とぶつかってもびくともしない強靭な肉体の持ち主なのかも。笑
園長先生の助言の話
と、いうことで、本題の園長先生の助言のお話を書いていこうと思います。
まーくんの保育園の園長先生は子どもの成長・発達についてとてもよく知っています。
知的障害に関心が強く、アメリカの大学院を出ているくらい。
「子どもを見ていると、ブロックに見えます。足りないところ、抜けているところがすごくよく見える」と言っているくらい、知識の多い人です。
ただ、独身で、自分の子どもを育てたことはありません。
まーくんは10月の初めから行き渋り(保育園に送って行って私が帰るときにめっちゃ泣く)があって、そのうちにお迎えの時にも訳のわからない要求をしてめっちゃ泣くようになりました。
そんな様子を見て、園長先生は私の関わりを変えた方がいいと言いました。
具体的には、まーくんは自分の要求が通らないともうずっと泣いて要求を繰り返す子どもだったのですが、それは私がまーくんの要求を受け入れないからだと。
私はまーくんの要求の中では、私がやりたくないことはやってきませんでした。
でも、それが今のまーくんの永遠に泣いて要求するスタイルを作ってしまったのかと反省し、言われたことは聞き入れることにしました。
それから、
「母親との関わりが足りない。寂しくて、お母さんとの関わりを求めているんじゃないか」
と言われました。
確かに3人目の妊娠初期はつわりで休ませてもらっていることが多く、夫が主に子どもと遊んでくれていたなとこれもまた反省し、まーくんと関わる時間を意識して持つようにしました。
ね?すごくありがたい助言をもらったでしょ?
でも、こうやって本当はやりたくない要求も受けて、本当はダラダラ横になっていたいけどまーくんと遊んだ方がいいんだよねって頑張って、私としては結構しんどかったです。
今まで一生懸命考えながらまーくんと関わってきたつもりだったけど、間違ってたんだ。
私じゃない人のところに生まれてきた方がまーくんは幸せだったんじゃないか?
元々、育児本を読みたくないと読んでこなかった私に、スパンと園長先生の助言が切り込まれ、私というものが、グラグラ揺らいでしまったのです。
1、2週間くらいは本当に言われた通り過ごしました。
でも、だんだん疲れてきて、程よくやろうと考え、適当に丁寧にまーくんと関わることに。
そうして助言から1ヶ月半ほど過ぎて、ようやく私も平穏な気持ちを取り戻し、家族も笑顔で楽しく過ごせるようになってきた今日この頃。
園長先生の助言がまたもややってきたのです。
育児をもっと自由に楽しく
今回の助言はまーくんのこだわりの強い性格、記憶力がすこぶるいいことから、日々の保育園での出来事を聞かないでほしいということと、送りの時に弟かえちゃんを一緒に連れてこずおうちに置いてきて、まーくんとお母さんの二人の時間を作ってほしいということでした。
今回の園長先生の助言でも、私はまーくんがどんなふうに保育園で過ごしているのか気になっていたのでいつもまーくんに「今日は何した?」「どこに行った?」などと聞いていました。
それが、まーくんにとってはお母さんに聞かれるから覚えておかないと、というふうになってしまうから、まーくんの生きづらさを増やしてしまう、とのようなことで、また私の行動が良くなかった・・・と一時くよくよしました。
でも、ちょうど最近ブログを書くようになっていたので、ブログコンセプトの「育児をもっと自由に楽しく」という言葉がすごく自分の中に響いていました。
あれ?育児っていうのは自由で楽しくあるべきなんじゃないか???
私は園長先生の助言にめちゃくちゃ振り回されて、反省したり、落ち込んだり、助言の通り行動を変えたりして子どもとの生活が楽しい!と思うことが少なかったと思います。
育児本で誰かの考える“正しい育児”の押し付けに接したくなかった私が、園長先生の考える”正しい育児”にどっぷり浸かってしまっていることに気がついたのです。
園長先生の言っていることはそりゃあそうなんだろうけど、それを100%で受け取って、100%実践しようとするなんて、それはそれは窮屈で、楽しくなんてない。
全て真に受けるのではなくて、情報として、そういう考えもあるよねということで適度に受け取ってそして適度に実践していく方が健康的で子どもにとっても自分にとってもいいことだと思うのです。
園長先生の助言は貴重でありがたいけれど、私と家族を混乱させるものであることも事実で。
正直放っておいてほしいとも思ってしまいます。
以前は園長先生を崇拝していて、園長先生の言うことは正しいんだ!なんて思っていましたが、最近はやはり同じ人間、園長先生の考えが全て正しいとは思わない、とのスタンスになってきました。
子どもにとっては、母親が笑顔でいることが一番ですよね。
育ちがどうとか、専門家の園長先生からしたら気になるんでしょうけど、私たち家族は今のまーくんに大きな問題があるとは思えません。
やっぱり、育児はもっと自由で楽しく!から遠ざかってはいいことはないと強く感じました。
子育て中の皆さんも、周りの人からいろいろご指摘を受けることもきっとあるんだろうと思いますが、それはそれと言うことで。
命に関わること以外はあまり気にせず、いろいろ考えて関わるよりも、子どもと自分と、夫と他の家族と、楽しく過ごせる方が子どもにとってはよっぽど有益だと言うことを、意識していったらいいんじゃないかなと思います。
夫の言葉を借りれば、
育児に正解はない、あなたの育児は間違っていない♡
なんですよ。
さあ、明日もたのしく過ごしましょう♡
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